進化と身体 (長編)
結論を一言で言ってしまえば、しょっちゅう身体を動かすことです。特に(早歩きで)歩くことです。現代人にはやはり文明の発達の短所の方の影響が出てきてしまっていると思えます。私が下痢、花粉症、皮膚の弱さを克服できたのも、風邪にもかからなくなったのも、間違いなくキャベツのおかげだといえそうですが、本当の健康を享受するには身体を動かすことも間違いなく必要だと思います。
私の場合、23歳の頃から週に最低一回はジョギングをしていたのですが、突然ひどいめまいに襲われた40代の後半は、5年間ほど膝の怪我で走っていなかった時です。走れない代わりにほぼ毎日のように泳いではいましたが、泳ぎでは歩くという人間にとって最も大事な足腰を使う運動の代わりにはなっていないことが分かりました。
あるソフトボールの練習試合で運良く満塁ホームランと思われる大きい一打を打てた時です。3塁からホームベースへの最後の部分を走っていた時でした。頭の中では相変わらず一塁から3塁までと同じように走っているつもりだったのですが、足の方はそれについていけずにもつれだしてしまったのです。幸いセーフで間に合って満塁ホームランにはなりましたが、足腰の運動不足は間違いのないことであることが分かりました。
膝の怪我は半月板損傷だったのですが、手術してくれた医師は再び走れるようになるとはいってくれたものの、実際には走ると膝が腫れて重くなってしまうので走るのを一切やめてしまっていました。足のもつれも酷いめまいも共に走らなくなって5年くらいたった頃でした。
心配になってせめて歩こう、ウォーキングを始めようと思いましたが、ウォーキングをすると腰痛が治ってしまうなど、身体にいいことは以前から知っていました。水泳で十分に代わりになると思っていたのですが、毎日泳いでも歩く、走るの運動の代わりにはなっていなかったのです。
文明の発達の短所の方の影響というと、科学の発展がまるで悪人のように思えてしまいますが、勿論そうではなくて悪いのは文明の利器にあぐらをかいてしまった人間の方です。動く手段である乗り物の登場がその一番大きな理由ですが、電車や車や飛行機などの登場は、人間の移動をとても早く楽にしてくれました。
その代わりにそれ以前までは常に歩き続けてきた人間が歩かなくなってしまいました。乗り物の誕生はわずかこの数百年のことです。それ以前の数百万年もの間ずっと歩き続けてきた人間が歩かなくなってしまったのです。これは人間にとっては大変大きな変化だといえると思います。
今のところ、人類の最初の祖先は440万年以上も前のアフリカのアルディーとかになるそうです。お猿さんたちは当時からその後もずっと木に登り続けて移動に手も使い続けてきたのでいまだに手の力が大変に強い代わりに人間と比べると足腰がひ弱です。そして人間はその頃から2本足を使って歩き始め、歩き続けてきました。
つまり何百万年もの間に歩き続けた結果として現在の大きくて強い足腰が出来上がったといえます。猿から人間への進化を1コマ漫画のように表した絵を時々見ますが、一番左端に猿らしきものが描かれていて、一番右端に人間らしきものがいます。
その中間に何種類かのご先祖たちが表されて、左から右に行くにしたがって丸い背中がまっすぐになると同時に身長が伸びていきますが、あれが数百万年もの間の人間の進化を大変良く表してはいないでしょうか。
アルディーの頃の身体は非常に小さかったそうですが、歩き続けたことによって段々と身長も伸びたのではないでしょうか。つまり、ずっと歩き続けてきた人間にとっては歩く運動が一番良い運動であるはずです。移動にも、餌を追うにも探すにも常に歩き続けてきたからです。
近代の人間が作り出した様々な乗り物は、この歩くという人間にとって一番大事な運動をごく自然に、そして極端に減らしてしまいました。乗り物の長所には、短時間で長い距離を楽に移動できるという計り知れない大きなものがありますが、その代わりに人間の身体にとって一番大切な動きである歩きという運動を極端に減らして足腰を使わなくさせてしまいました。
筋肉でも何でも使わなければ衰えてしまうのは当たり前です。怪我をしてギブスなどをするとよく分かりますが、僅か数日の間動かさないだけでリハビリが必要になってしまいます。動かさないということに対して身体は大変弱い仕組みにできているといえます。
ドアとちょうつがいではないのですから、動かすためにあるものが動かされなければ動かなくなってしまいます。いえ、ドアのちょうつがいでさえ長い間動かさなければ錆びて動かなくなってしまいます。車でもそうですが、毎日適度に使っている方が、長い間放置しておくよりも調子よく保たれます。動くようにできているものは動かさなくては駄目なのです。
循環
人間の心臓は、他の全ての動物たちと比べてその位置がかなり高いところにあり、そこから動脈で全身に血液を送ります。はるか下の方の足の先まで血液を送る時は重力の関係もあって楽ですが、その後今度は強力な重力に逆らって静脈で心臓まで血液を送り返さなければなりません。
静脈には所々に静脈弁がついていて血の逆流を防いでくれていますが、それはまさに重力に逆らって血液を上方の心臓に送り返すための進化の結果ではないでしょうか。
もし人間の身体に合った正しい動きを行っていると筋肉が動くので太くなったり細くなったりしますが、その力で静脈弁で仕切られた各血管の一部分、一部分がポンプのようになって血液を心臓に戻す助けをおこなっているそうです。だから寝ている時が一番楽なわけです。
人間の姿勢で一番楽なのは、寝ている時、座っている時、そして立っている時の順ですが、それは重力の存在があるからこそです。病気になったら立っていられずに横になるわけですが、当然のことながらそれが一番楽だからです。物が落っこちてしまうという強力な重力は本来大変な力なのです。身体が少しの高さから落ちただけで痛いですが、あの力は24時間ずっと身体にかかっています。
その力は静脈の中を通る血液にも働いています。だから類人から人類への進化の段階で静脈には開閉弁ができてきたと思われるそうです。実際に静脈弁は内臓や頭部には見られず、四肢によく発達しているそうです。普段下に向かって下ろされている手にとっても、寝ている時などを除けばやはり下に向きっぱなしの足にとっても、静脈弁のポンプの働きが大変大事なものではないでしょうか。
ということは、よく歩く人とそうでない人では血液の循環の具合も違ってきてしまうことになります。血液の滞りのない循環が健康に非常に大切で、病気の治癒にも大事であることは、血液が栄養も免疫も酸素も水も運ぶことからいうまでもないことだと思いまが、だからこそそれがスムーズに行われているかどうかが健康に大きく影響するわけです。
最近水分を取る、つまり水を多く飲むのが健康に良いとされてミネラルウォーターのメーカーが売上を伸ばしているようですが、水を飲めばそれだけ体の中で水の循環が行われることになります。
でも喉も渇いていない、つまり身体が欲してもいないのに無理をして水を飲むよりも、ウォーキングをして身体を動かして汗をかき、身体が自然に水を求める方がはるかにいいと思います。
身体の中の水分や血液の循環だけではなく、この世の中では動くということが欠かせないようにできているみたいです。例えば水を動かさずにじっと置いておくとよどんできて汚くなっていきますが、フィルターポンプなどを使って水を循環させておくと、つまり動かし続けているときれいに保たれるのはアクアリウムの業界ではよく知られた事実です。しかもその循環、流れが多くて速いほど効果が大きくなります。
人間の身体も、血液を常に動かし続けるだけでなく、その循環がスムーズであればあるほど血液によって栄養や免疫が滞りなく運ばれるわけですから身体にいいわけです。私の場合は静かにしている時の脈拍数が1分間に50ちょっととだいぶゆっくりな方なのですが、ダッシュなどをするとそれが140以上にもなります。そのように血液が早く・多く運ばれれば、栄養も酸素も免疫もたくさん運ばれるので、運動は身体にとって大変良いことではないでしょうか。
入浴は健康にいいといわれますが、お湯につかることが血液の循環を良くするそうです。普段シャワーだけの人達と、お湯を張った浴槽につかる人達との比較実験で、リンパ球の数にかなり違いが出るそうです。シャワーだけの人達のリンパ球数の平均が1マイクロリトル当たりで1900個で、お湯につかる人達の平均が2200個だそうです。リンパ球は体を細菌などの外敵から守る免疫システムの一部なので、その数が多いのと少ないのではどちらがいいかは明白です。
血の循環だけではなくて、振動も身体には大事であることが分かってきています。骨折の後の骨のつき具合も、ある特定の振動を与えている方が、安静にしているよりも直りが早いそうです。あの大リーガーの松井選手が骨折した時もその治療方法が取られて4割も早く直せたそうです。
宇宙飛行士は地面とのコンタクトもなく重力もないので地球に帰ってくると身体や骨が弱くなってしまっています。真空状態で人間の身体はどうなるのか...是非一度宇宙航空研究開発機構のウェブサイト、宇宙の面白実験のビデオをご覧下さい。
http://iss.jaxa.jp/library/video/omoshiro_090427.html
同じことが水泳に関してもいえるようで、水泳の唯一の欠点は、地面とのコンタクトがなくて骨が鍛えられないことです。停滞はよどみを生むのはあらゆることに対していえるようで、重力のある地球で生まれて進化し続けてきた生き物には、長い時間じっとしている時間をなるべく少なくして、動いて変化を続けるということがどうしても必要なようです。
一番身体に良い運動
腰痛のある人がウォーキングを始めてしばらくすると腰痛が直ってしまうというお話しを良く聞きますが、それはごく当たり前のことのように思えます。腰痛が出たらウォーキングをして直ったというのは実は間違った表現で、本当のところは普段歩くという人間の身体にとって必要不可欠な運動をしていないから腰痛などの身体の痛みが出てくるというのが正しい表現ではないでしょうか。
その正常な動きを再び始めれば腰痛が治る。車での移動が当たり前のようになってしまい、本来なら歩くはずの距離でもつい車を使ってしまっていないでしょうか。エレベーターがあるからといってついつい1,2階上がるのにエレベーターを使ってしまっていないでしょうか?
人間の足腰を見れば、それが座るためにできたものではなくて歩くためにできたものであるのは一目瞭然です。椅子は座るためにできていますが、人間の身体は座るためにできているわけではありません。人間の身体は動くためにできています。座るのは休むためだけです。
腰痛に限らずに四十肩でもなんでも、体中様々な部分の痛みの原因のほとんどは運動不足によるものからと思われてしょうがありません。腕も勿論動かすためにできていています。前方、横、上下、そして一部を除いた後方、いろいろな方行に動かせます。そのようにあらゆる方向に動かせるように関節も筋肉も筋も作られています。
あらゆる方向に動かさずに一日中座ったままでパソコンのキーボードだけ打っていたら衰えてしまうのは当然のように思われます。机に対して椅子の高さが少し低いと肘が机の上に乗ってしまって肩がこるのはご存知でしょうか。それが不自然だからです。停滞がよどみを生むのは水だけではなく、組織も人間の身体も同じのようです。
毎日正しい運動をする、例えば歩く、ウォーキングをする、ラジオ体操をする、というのは身体にいいのではなくて、本来は必要不可欠なものなのです。ドイツ語には、“Wer lastet, der rostet”という、休む者は錆びるという言葉があるくらいです。
鳥は飛ぶために手(羽)が発達していて足が衰えているので長い距離を歩けない代わりに空が飛べます。魚は泳ぐために流線型などをしていて色々な鰭がありますが陸に上がれません。モグラは土の中を穴を掘って進みやすいように手の力が強くて爪も強いですが、その代わりに必要のない眼が衰えてしまっています。
元ケンブリッジ大学教授、車椅子のホーキング博士は、アメリカの大統領がまだクリントンさんだった頃、クリントンさんとそのおとりまきのVIP面々を前にして、人間は将来環境の変化についていけなくなって自らの身体に遺伝子工学を使わざるを得なくなるだろうといったそうですが、それが大きな環境の変化についていけない身体を変えるためならまだ分かりますが、退化してしまう身体を救うためでないことを願っています。
歩くために身体が出来上がっているのだから、身体を健康に保ちたければ毎日頻繁に歩けばよいわけです。どのくらい歩けばよいのかは、実は自分の身体が教えてくれます。どのくらい休めば良いのかも教えてくれますが、前者の方は腰痛などの痛みとなって出るので時間もかかってリカバリーが大変ですが、毎日歩くようにして歩き過ぎにはすぐにサインを出してくれます。
最初は無理をせずに週に1回でも2回でも、距離は1kmでも2kmでもいいと思います。大きな個人差がありますが、徐々に回数と距離を増やしていって毎日3、4km以上歩くのが理想ではないでしょうか。回数や距離数が多くなってくると疲労や筋肉痛でサインを出してくれるので、距離や回数を押さえます。
人間の身体は面白いもので、最初は僅かな回数、僅かな距離で疲労や筋肉痛のサインが出てきますが、登山のようにそれが段々と身体が慣れていくとともに回数も距離も伸びてきます。
一番いけないのは始める時についつい頑張り過ぎてしまうことです。ついつい頑張ってしまうと回数も多過ぎ、距離も多過ぎ、そしてそれが飽きや三日坊主につながります。マイペースかあるいはそれよりもさらに少な目ぐらいで毎回やめておくと次が楽しみになって続けやすくなります。
動かすべき身体を動かさなければ動かなくなってきたり、使い過ぎればつったり腫れたりと、身体が色々なサインを出してくるので、それに耳を傾けることが大事ではないでしょうか。運動をしなければ体がなまり、運動をし過ぎれば疲れるなどするので、素直にその声に従って身体を動かしましょう。
ちなみに私自身はウォーキングではなくてジョギングをしていますが、それはジョギングの方が短い距離と時間で効率的に身体が温まるからですが、本来はジョギングよりもウォーキングの方がいいはずです。人間はずっと走り続けてきたのではなくて、ずっと歩き続けてきたからです。ジョギングだと膝も痛めますがウォーキングの場合はそんなこともありません。
時間のない人にはウォーキングよりもジョギングの方がいいということになってしまうかもしれませんが、本当はウォーキングの方がお勧めです。そしてそのウォーキングは、ゆっくりと歩くのではなくてなるべく大またで早く歩きます。それによって身体もよく温まり、血液の循環も良くなります。血液の循環を良くする、汗をかいて身体の水の循環をする。それが大事ではないでしょうか。
ところでラジオ体操ですが、長い年月の間に数々の改善などもあって人間の身体にとってかなり考え尽くされた究極の動きだそうです。元々はアメリカから来たものだそうですが、国が奨励して全国に広まり、ラジオ体操を毎朝行うと、例えば企業などで実際に統計上病欠が減るそうです。そこで多くの企業に取り入れられているわけです。
始めから跳んだり跳ねたりするのではなく、肩甲骨や腕などの動かしやすい部分から動かし始め、徐々に動きを大きくしていく。その後腰の運動を三つはさんで上下に伸びて太腿の裏側を伸ばして身体を柔らかくした全身を大きく回します。そして有酸素運動のジャンプを入れて手足の基本的な動きに戻って深呼吸で心拍や脈を整えるという起承転結がきちんと構築されているそうです。
ラジオ体操によって身体が効果的に動かされることによって脂肪が燃えて美脚や小尻になって姿勢が良くなる、肩こりや腰痛が改善される、目覚めが良くなるなどが期待できるだけではなく、筋肉や脳に血液が回って体の動きが活発になり、頭もさえてくる効果があるそうです。ただ行うだけではなく、手足を伸ばす時は思いきって伸ばす、そしてきびきびと動かすのが大事です。
ユーチューブなどで第一も第二もすぐに出てきますので、両方を毎日行うことをお勧めいたします。できれば朝と午後の2回くらい行えば、腰痛や四十肩等にかなりの違いが出ると思います...
ラジオ体操に関しての詳しい説明は下のファイルをダウンロードしてお読みください。
目
身体を動かすことが大事であることも勿論そうですが、もう一つ忘れてならないのが目です。目は色々な違いのある距離を見るために作られています。毎日8時間もの間、目の前わずか数十センチ先のパソコンのモニターをずっと見続けるためにできているわけではないはずです。
アフリカの住人には視力が4,0とか、望遠鏡のなかった昔の船乗りなどには視力が7,0のひとがいるとかいうお話があるくらいです。この50~60年の食生活の変化、体に良くないものを食べるようになったことが花粉症や生活習慣病の原因だとします。
そして乗り物の発達による運動不足、特に歩かなくなったことが腰痛や四十肩などの原因だとしたら、パソコンはこの20年ほどで普及したので、これから目の不調を訴える人が多く出てくることが予想できないでしょうか。
実はそれは既にTVが近視でめがねをかける人が当たり前のように増えたという結果をもらたらしているのでしょうか。見るものの距離によって目の中の水晶体を筋肉で薄くしたり厚くしたり調節して動かし続け、遠くを見たり近くを見たりを繰り返すのが本来の姿のはずです。
遠くを見る時は筋肉で水晶体を引っ張って薄くして、近くを見る時は筋肉を緩めて水晶体を厚くして焦点を合わせていますが、目の前の明るいモニターを見続けて筋肉を緩ませ続けたらやはりその筋肉がなまって遠くが見えなくなってくるのはごく自然のことだと思います。
コンタクトレンズの人が多いので実際にはそのようには見えませんが、現在近視の人は恐ろしいくらい多くなっていると思います。かといってそれで仕事をやめるわけにもいきませんので、なるべく頻繁に上下左右を見て目をぐるぐると回したり、休みの日にはパソコンに向かわずに遠くを見ることが必要だと思います。
今後何年か何十年かの間に目の不調を訴える多くの人が出てこないことを切に願っています。目の運動にも遠くを見ながらのウォーキングは最適だと考えられます。
長所には必ずその裏の短所あり。楽あれば必ずその裏に苦あり。その逆もしかり。楽ばかりしていたらしっぺ返しは必ずやってきます。文明の利器で世の中が便利になったからといってそれにあぐらをかいて頼りきってしまってはおかしなことになってしまうのは当然です。
若い時の苦労は買ってでもしろとはいいますが、正にその通りであります。いえ、若くないからといって苦労が不要になるわけではないと思います。むしろ“若い時の”という部分は不要だと思います。楽をすれば衰える。そういう意味では苦というか、身体を鍛えるということは健康にとって大切なことではないでしょうか。
ところで以前、地図が読めない女、話を聞かない男という本がヒットしたと思いますが、面白いTV番組を見たことがあります。方向音痴と思われる人達と、そうでない人達の頭に目の動きが見れる特殊なセンサーの付いたヘルメットをかぶせて、その人達が移動している最中に何を見ているかを調べた実験です。
方向音痴でない人達は、ビルなどの動かない大きなものを目印として見ているのですが、方向音痴の人達は、どういうわけか皆さん面白いようにバスなどの動くものばかりを見ています。道を覚えなければいけない時に、どうして動くものばかりを見るのか私にはその思考回路が理解できませんでしたが、実はうちの奥さんは正にその後者なのです(笑)。
そしてうちの奥さんを見ていると、どうやらあのTVは視聴率を上げるためにわざと面白おかしく作ったわけでもなんでもなくて本物だと思いました。なぜならうちの奥さんときたら、何度同じ道を通っても呆れるほど覚えません。覚えるつもりがないのか、動くものばかり見ているからなのか。永遠のペーパードライバーで運転に夢中で周りを見ることなどできないのか。
多分それら全てかもしれません。注意深く彼女の運転を見つめていると、確かに運転に一生懸命で景色やビルなどの目印を見つけている余裕はなさそう。前方に対するその視野の角度はわずか30度位に思えてきてしまいます。
それも歯と食事、身体のつくりと歩く運動などと同じように進化の結果でしょうか。太古の昔から男は家族のために外に出てひたすら食べるものを探して歩かなければなければなりませんでした。誰が何と言おうと、とにかくただひたすらに食べ物を探しに行かなければなりません。でないと家族が飢えてしまいます。
それで男は話を聞かなくなり、地理に詳しくなった。男がもし方向音痴だと、家族が待つ場所に二度と戻れません。その点女性は留守を預かる身。よくおしゃべりをして場を明るくし、家族みんなの話も聞く。その代わりに地理に明るくなる必要がない。それにしても鮭や渡り鳥の地理の明るさには恐ろしいほどのものがあります。