朝鮮人強制連行問題

「朝鮮人強制連行」は、国家総動員法に基づく国民徴用令が内地で施行されて以降、朝鮮人が内地(日本) へと労働動員された事態を湾曲したもののようです。

 

多くの朝鮮人が日本軍に加わったのは、昭和13年から実施された志願兵制によって「志願」した人たちです。それはとても狭き門だったそうです。

 

昭和13年

採用者数406人に対して応募者数2.946人、倍率7,7

昭和14年

採用者数613人に対して応募者数12.348人で倍率20,1

昭和15年

採用者数3.060 に対して応募者数84.443人で倍率27,1

昭和16年

採用者数3.208 に対して応募者数144.743人で倍率45,1

昭和17年

採用者数4.077 に対して応募者数254.273人で倍率62,4

 

つまり強制連行どころか、望んでもほとんど日本兵になれなかったのです。それと平行して昭和17年から19年までの朝鮮総督府による「官斡旋」、さらには昭和19年と20年の「徴用」がありました。

 

この内、強制と言え得るのは、わずか7ヶ月間行なわれた「徴用」のみで、それも ”人さらい” まがいの強制連行がなかったことは、当時の日本が朝鮮からの密入国者に悩まされて、昭和14年から17年の間に1万9千人もの朝鮮人の強制送還をしている事実が裏付けています。

 

送還には1人1~2円の費用さえかかっていました。頼まなくても勝手に密入国している朝鮮人が多いのに、どうして ”人さらい” のような強制連行をしなければならないのでしょうか? なぜ費用をかけてまでも強制送還をしたのでしょうか?

 

「徴用」は日本国内で、日本国民に対しても勿論行なわれていました。昭和14年から6年間もの間です。それは本当に強制連行だったのでしょうか? 

 

参考資料:

「朝鮮人強制連行はあったのか」岡田邦宏、日本政策研究センター

別冊”正論” 2014年4月号

 


収入を求めて祖国を離れ、日本にやって来たことがそんなに後ろめたいことでしょうか? でもその気持ちも少しは分かります。ドイツに住む我々日本人も、これだけ住みやすくて素敵なドイツに対して、ドイツ人はサービスがなってないとか、うるさいとかの短所をついつい口にしてしまうからです...

 

 

参考までに、東京裁判で禁錮20年の刑を受けて獄死した東郷茂徳元外相の先祖は、秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられた陶工で、父の代まで「朴」性であり、壇君を祀る玉山神社が氏神でした。その子孫が日本の外務大臣となり、日米開戦を避けるために心血を注ぎ、戦犯として囚われた獄中で「すめろぎに凡てを捧げまつらむと定めし心今も揺るがず」と詠んで獄死し、靖国神社に祀られています(平成17年2月7日神社新報)。

 

平成16年12月、日韓首脳会議が鹿児島の指宿市で行なわれ、当時の

 

盧武鉉大統領は、薩摩焼14代宗家、韓国名誉総領事の沈寿官氏を訪ね、異国の地で独自の発展を遂げた陶磁器の美しさに驚嘆し、「我々の誇り」と賞賛しました。

 

朝鮮出兵が終わり、日朝の和平が成立した時、日本に連れてこられた陶工たちには帰国が約束されましたが、帰還者はわずかでした。それは囚われの身にもかかわらず、日本では名字帯刀まで許されるといった手厚い保護を受けたのに対して、儒教原理主義の朝鮮に帰国すれば、工人という最下位の層の身分に帰されてしまうからでした。