パールハーバーの先制攻撃で、アメリカに対して宣戦布告をして戦争を始めたのは日本だということになっています。ですが、当時のGHQの総司令官あった、ダグラス・マッカーサーでさえ、下記のように述べています。
「日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。 しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。 日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。 日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。 それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。」
出展: 『世界から見た大東亜戦争』展転社・名越二荒之助
(1951年5月3日・米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)
そしてハミルトン・フィッシュ共和党上院議員は...
ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。 そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。
(名越二荒之助『世界から見た大東亜戦争』展転社)
ア メリカが戦争に参戦したかった理由は、過去6年間の自己の失政を糊塗する為。過去6年間のルーズベルトの失政(「ニュー・ディール」政策)、戦争指導 者としての歴史に名を残したいという自己顕示欲を満たす為。大統領自身が国際連合を組織して、ソ連のスターリンとともにその支配者になるためである。
起こってしまった戦争。どちらが悪いかの議論などはしない方が良いに決まっています。でも、もし議論が出されてしまった場合には、卑屈にならずに凛とした態度で臨みたいものです。
パールハーバーは軍港。軍の施設です。原爆が落とされた広島や長崎などの一般の都市とは比べることができません。
ベン・ブルース・ブレークニー アメリカ東京裁判弁護士
原子爆弾という国際法で禁止されている残虐な武器を使用して多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について日本の責任を問う資格があるのか。
東京裁判において東郷茂徳、梅津美治郎の弁護人を務めた
出展: 草莽全国地方議員の会 および
米国戦略爆撃調査団
日本の指導部が、国家の存亡に関わる利益の為にと固く信じて、(今次の)戦争を始めた事は明らかである。これに対して、アメリカ合衆国は、単に自分達の 経済的優位と主義主張を押し付けようとしたのであって、国家の存亡に関わる安全保障の為に戦ったのでは無いと、アメリカ合衆国人は信じていた。
米国戦略爆撃調査団団長ニッツから
トルーマン米国大統領に提出された報告書、1946年7月
カーチス・B・ドール大佐 ルーズベルト大統領の長女の夫
ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父、ルーズベルト大統領および側近たちの戦略は、 平和を維持し保証することではなく、事件を組立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと、私は 悟ったのです。
朴 鉄柱 韓日文化研究所
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は、決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって、事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
日本の武士道は、西洋の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争。この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたと言うが、負けたのはむしろイギリスを始めとする、植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地の全てを失ったではないか。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争” であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたと言うが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて国民尊拝対象となるのである。
日米開開戦の謎
忘れてはいけないのは、有色人種は19世紀の後半まで奴隷として西洋人(白人)に使われていたことです。売り買いされたり、その扱い方は家畜同然でした。そして日本人は有色人種なのです。
日清戦争、日露戦争で勝利した有色人種の日本人は、アジアから中東にかけての有色人種たちからは絶賛されました。いえ、東欧の白人たちからさえも賞賛されました。但しその白人たちは強国から虐げられていた弱い立場の白人たちでした。
では強国の白人たちは、その有色日本人の勝利を喜んでいたでしょうか?第一次世界大戦後、パリ講和国際会議で日本は人種差別撤廃を訴えましたが、無視される結果となりました。時はまだ1919年、西欧列強の国々が植民地を貪っていた時代だったので無理もありません。
第二次世界大戦後、村松剛という人が交換教授でカナダに滞在していた時に、ニューヨークタイムズの面白い切り抜き記事のコピーをお土産に、三島由紀夫氏と石原慎太郎氏に持ち帰って見せました。ひとつはドイツが降伏した時の社説です。
「我々は勝利してよかった。だが、ドイツ人とは本来友人であり、ドイツ人は優秀だから、将来を見据えて、彼らがナチスを排除するなら、我々はドイツの再建に協力していこう」
そしてもうひとつは、日本が降伏した時の社説で、その横には恐ろしく大きなナマズのような化け物がひっくり返って口を空けているところに、やっとこを手にしたGIが2,3人で牙を抜こうと格闘している漫画だったそうです。
そして社説は、「この怪物は倒れたが死んだわけではない。我々はこの化け物の牙と骨を徹底的に抜き去らなければならない。この作業は戦争に勝つよりも難しいかもしれないが、アメリカは自分のためにも、世界のためにもこの作業を続けなければならない」
記事の情報は、「勝つ日本」石原慎太郎著
この発想・思想がWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)につながるわけです。実際に、GHQが日本に来る時は、神風特攻隊の攻撃や、地上でも決死の突撃を受けるなどの苦い経験をしていたので、日本人とはとんでもない人種だ。占領下の日本を統制することは一筋縄ではいかないと覚悟してきたそうです。(実際には日本人のその従順さに拍子抜けしたそうです)
出る杭は打たれるといいますが、有色人種の中で飛びぬけて出た杭である日本人は、先進列強諸国の白人たちから見てみれば、非常にいまいましい存在だったわけです。