「日本は侵略国家であったのか」という論文を書き、2008年10月31日に第一回「真の近現代史観」論文懸賞で、最優秀藤誠志賞を受賞しました。
ところがその論文の内容は、過去に日本は侵略戦争をしたという政府の認識とは異なったために、その職を追われることになりました。
田母神さんの理論を理解するには、その論文を読むのが一番良いので、インターネットで直ぐに見つかりますが、下記用意してあります。
田母神さんの主張をまとめると、
1.日本はそろそろ自立しよう
2.国防をしっかりしよう。
つまり、現在の訳の分からない存在である自衛隊を、
日本国軍にしよう
3.核を持とう
ということになると思います。
2.と 3.は、一見物騒に響きますが、実は全くそうではないと言います。2.の方などは、むしろ現在のその状況こそが世界で唯一の非常識な状態で、良く言えば世界中から不思議がられ、悪く言えばバカにされています。
最近やっと集団的自衛権が実現しそうですが、それが無ければ、次のようなことが起こります。例えばアメリカと日本は安保条約を結んでいますが、アメリカと日本の軍艦が近くにいて、アメリカの軍艦が、どこかの軍艦に攻撃を受けて立ち往生しているとします。
もし集団的自衛権が無い場合は、日本の軍艦はこの時、攻撃しているその軍艦に対して攻撃できずに、指をくわえて見ているか、逃げるしかないのです。
そんな不公平、理不尽なことがあるでしょうか。日本の自衛隊は、襲いかかる船や飛行機があっても、攻撃できないのです。
であるがゆえに、中国の船にぶつけられても何もできないし、北朝鮮の人さらい船が来ても何もできないのです。
3.の核に関しては、核を使うために持つのではなく、戦争を起こさないようにするために持つと言います。核を持つことによって、戦争をしかけられないようにするのです。それは、強そうな相手には喧嘩を売らない、ちょっかいを出さないという理屈に元づいています。
今の世界、特にこれだけ平和ボケした先進諸国の間で、戦争が起こることがありえるでしょうか?発展途上国など、先進国とは常識の違う所でなら話は別ですが、現在の先進諸国ではあり得ません。
但し、それでも外交では武力がものを言います。強そうに見えれば喧嘩を売られないのです。 使うための武力ではなく、外交において背後にあって見える武力、そして大きな自然災害などの時に活躍する武力です。
国益同士がぶつかり合う外交においては、残念なことながら、日本人の美徳である謙遜や思いやりは通じません。なぜならその美徳は、国際社会においては非常識だからです。